「 旅の思い出は匂いと共に 」 エコバックが紡ぐショートストーリー


ショートストーリー

ペンネーム:黄身川原プリン

 

 

クローゼットの奥。

ダンボールを空けると、箱一杯に色々な柄のエコバッグ。
どのバッグも薄汚れていて、お世辞にも綺麗とは言い難いのだが一枚一枚ちゃんと畳まれ、それぞれがジップロックに入れてある。
世界広しと言えども、エコバッグを「真空パック」して保管しているのは僕くらいだろう。

 

 

そしてそれを眺め、ふと思い出す。

 

「写真も良いけど、旅の思い出は『匂い』だよ」

 

そう言って彼女は空になったバッグを広げ、その街の空気をお土産として詰めるように空に向けてぶるぶると振る。
イスタンブール旧市街のマーケット、スペインの教会、バンコクの夜店街で。
財布やらガイドブックやら、バッグの中身を預けられた僕はそれを横で眺める。
旅の仕上げ、明日は帰国という最終日の夜に行う二人の儀式だった。

 

何かと出不精だった僕と、小さい頃から父親の仕事の関係で海外を転々としていた彼女は大学で出会う。そして、半ば強引に海外旅行に付き合うようになった。

 

 

「一つの旅で一つね。」

 

そう言って、旅行前、必ず薄い麻布で出来たエコバッグを購入する。
旅慣れた彼女曰く、高級バッグはひったくりに狙われやすいし、リュックサックではバックパッカーと間違われて、特に若いアジア人はホテルやレストランで冷ややかな態度を取られるらしい。ついでに「麻」が一番匂いが染みつくそうだ。

 

 

「ヨーロッパのセレブは旅先ではエコバッグだよ。アンジェリーナジョリーもそうだし」

 

と、どこまで本当のことか分からないことを言い、肩からエコバックをかけた身軽な恰好で海外の街を颯爽と歩く。そこに重いスーツケースを引きずった僕が付いていく。それが2人の旅のスタイルだった。

 

 

 

 

初めこそ「えー、海外なんて面白いの?」と抵抗していたが、実際に行ってみると刺激的で楽しい。もちろんそれは通訳兼名ガイドの彼女がいてくれるからなのだが、いつの頃からか、アルバイト代を貯めて行く年に数回の海外旅行が二人の共通した趣味になっていた。

 

 

彼女とは同じ歳。

出会った19歳のころから社会人3年目の25歳までの6年間。そろそろプロポーズか、なんて思っていた頃には旅の回数は20回を超えていた。いつものデート、いつもの会話。今度はどこに行こうか?そんな話をしていた時、

 

「何だか最近体が重い」

とにかくパワフルで、風邪すらひいたところを見たことがない彼女がそう言う。

 

「一度病院に行ってきなよ」

そこからはドラマにあるようなお決まりのパターン。

腹膜という臓器を包む「膜」の表面に悪性に肉腫というがんの一種が出来ていて、既に転移し始めていた。若い彼女は細胞活動も活発で、同時に悪い細胞の勢いも凄く、残念ながら今の医学ではそれを防ぐ術はないとのことだった。

 

「エコバッグ。何枚か持ってきてくれない?」

 

 

入院中の彼女からそんなメッセージが入り、仕事の合間をぬって「旅の思い出」を届ける。

何故かバッグの保管は僕の役割になっていて、狭い部屋のかたすみに積まれていたものを、運んでいる途中に「匂いが飛ばないように」とご丁寧に一枚ずつジップロックに入れていく。それを見た彼女が「流石。やることか細かい。君に任せて正解だね。」と笑う。

 

袋を開けては鼻を突っ込み、まるでソムリエのように「うんうん」とうなずく。

 

「それ、エジプト行った時のやつじゃない?ラクダがバッグの端を咥えちゃって離さなかった」、「やっぱそう?何か唾の匂いがする」

 

そんな話も長くは続かず、「ありがとう」と言ってそっと袋を閉じて目をつむる。旅の思い出に浸っているのか、抗がん剤の影響なのか、虚ろな夢の世界へ。

 

 

 

そしてその数日後、彼女は最後の旅に出た。今回だけは僕を残して。

 

亡くなる直前、彼女のご両親や、共通の同級生や、もちろん僕も病室に駆け付けて、涙涙だったのだけど、それは誰かに話すようなことでもないので、心の中に仕舞っておきたいと思う。

 

 

「さあ、今回はどれにしようか」

 

お店でエコバッグを吟味する。

彼女が亡くなってからというものしばらくは旅行どころか何もする気にならなかったが、人間はそう長くも落ち込んでいられない生き物らしい。

彼女の死も過去のこととなり、友人や、新しくお付き合いした方(流石に数年あとの話だけれど)と「どこか行こう」という話になれば、彼女から薫陶を受けた海外旅行熱が再び燃え上がってくる。

 

「何それ?何でエコバッグ?」

 

同行者にそう問われれば「ヨーロッパのセレブは・・・」と講釈をたれる。

旅のお供のバッグと、本当は彼女と訪れたかもしれない異国の街を歩き、現地の空気を、その匂いを吸わせ、家に戻れば「真空パック」する。

かと言って、それを墓前に手向けて旅の報告をするわけでもなく、残念ながら僕はそこまでロマンチストでもない。

でも旅の途中。何の前触れもないほんの一瞬。街角に、空港に、ホテルのラウンジに彼女を感じる。

 

だから僕は安物のバックを持ち歩く。それが二人の目印なのだから。

 


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